東京地方裁判所 昭和62年(ワ)13944号 判決 1990年2月27日
原告 甲野一郎 外一名
右二名訴訟代理人弁護士 鈴木利廣
同 弓仲忠昭
被告 医療法人財団富士病院
右代表者理事 石川恭子
右訴訟代理人弁護士 神田洋司
同 弘中 徹
同 溝辺克己
同 井上博之
同 柴崎晃一
同 山下秀策
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告ら各自に対し、一六五〇万円及びこれに対する昭和六〇年三月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告らは夫婦であり、亡甲野太郎(以下「太郎」という。)は、原告らの子である。
(二)被告は、精神科、神経科及び内科の診療を行う富士病院(以下「被告病院」という。)を開設し、診療業務を行っている。
2 診療契約
(一) 太郎は、不眠、他人の視線に恐怖を感ずる視線恐怖、不安感や絶望感を覚えるという症状を改善するため、昭和六〇年一月二五日、被告病院に受診し、被告との間に診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した。
(二) 被告病院の担当医師である河津緑医師(以下「河津医師」という。)は、太郎を心因性うつ状態と診断し、太郎は、同年二月四日から同医師の担当の下に被告病院に入院し、治療を受けていた。
3 太郎の自殺
太郎は、入院中の同年三月一二日午前八時三〇分頃、被告病院の許可を得て外出し、同日午前九時二〇分頃、新宿区上落合<住所略>所在の○○レジデンスビル屋上から妙正寺川に飛び降り自殺を図り、頭部挫砕により即死した。
4 被告の義務
(一) 被告は、本件診療契約上、精神医学の現在の水準に照らし、適切な知識、技術を駆使して太郎の治療に当たるとともに、その入院生活を通じて太郎の生命、身体の安全を確保すべき注意義務がある。
そして、一般に、うつ病の治療には、薬物療法、精神療法等によって、精神状態からくる苦痛を和らげるとともに、行動観察によって、自殺の予告を把握し、自殺しないことを約束させ、担当医が受容的な態度で十分な時間をかけたカウンセリングを行い、孤立無援感をもっている患者の理解者、支援者、相談相手として共に悩み、患者がその苦悩の解決に自殺以外の解決法を考える精神的余裕を持てるようにする等自殺防止のための精神療法をとることがとりわけ重要であり、したがって、被告には、自殺の予告が認められる場合には、自殺を望む原因、自殺への願望の程度を把握し、自殺の危険性が高い場合には、昼夜を問わず保護観察を行い、刃物、紐類等の自殺に使用されるおそれのある物を除去し、一人にしないよう付き添う等の措置を講じるべき注意義務がある。
(二) 太郎の場合は、今回の入院以前の昭和五九年一月二三日にも、うつ状態で自殺念慮が強いことから、被告病院の閉鎖病棟に入院し、その際、自殺防止が特に看護上の指示事項とされたことがあった。また、今回の入院の際も、やはり自殺防止が看護上の指示事項であり、河津医師が外国へ出張した昭和六〇年三月初旬頃から不安感が強まり、観察されてつらい、自分が精神分裂病ではないか等の悩みや社会に適応する自信がない等の訴えが目立つようになっていた。そして、自殺前日の同月一一日の午前六時四〇分頃には、太郎が「死にたいよー。」と叫びながら鋏で手首を切ろうとしていたこと(以下、これを「リストカット」という。)があり、このことは河津医師も認識していた。
(三) 以上によれば、太郎においては、自殺の予告が認められ、自殺の危険性が高い場合であり、被告病院としては、自殺当日には、通常以上に、太郎の自殺企図に注意を向け、医師によるカウンセリングを強化するとともに、患者の外出についても十分注意をし、単独行は避けさせる等の具体的保護措置を講ずるべきであった。
5 被告の責任
しかるに、被告病院は、以下のとおり保護措置を講ずることを怠り、その結果、太郎を自殺に至らしめたのであるから、債務不履行責任ないし民法七一五条の使用者責任を負う。
(一) 河津医師は、自殺前日の太郎の直接的な自殺の予告(リストカット)を認識しながら、これを自殺企図とは判断せず、太郎が自殺する危険性が高いとは考えなかったため、太郎の自殺を防止するための具体的な保護措置を全くとらなかった。
(二) 太郎が、自殺当日、煙草を買いに行くと称して看護婦に外出許可を求めた際、一週間病室に閉じこもっていた人間が煙草を買いに行くにしては不自然な外出用の服装(セーター、ズボン、コート及びブーツを着用)であり、煙草は三日前に買ったばかりであったこと、看護婦が最初渡した五〇〇円では不足だとして更に五〇〇円を要求したこと等多くの不自然な状況が見受けられた。したがって、右看護婦は、太郎に対し、外出しないように説得するか、あるいは看護婦が付き添って外出させる等太郎を一人で外出させないようにして自殺を防止するべきであったにもかかわらず、これを怠り、漫然と太郎の外出に同意を与えた。
6 原告らの損害
(一) 太郎は、昭和五九年七月東京薬科大学を卒業し、昭和六〇年四月から大鵬薬品株式会社に就職することが内定していた二四歳の男子であり、その病気及び年齢等から考えて、社会復帰の可能性が高かった。また、自殺により長男である太郎を失った原告らの精神的苦痛ははかり知れない。これらの事情を考慮すると、太郎及び原告らの受けた精神的苦痛を慰藉するための慰藉料としては、太郎の被告に対する損害賠償請求権の相続分及び原告ら固有の慰藉料を合計して三〇〇〇万円(各自一五〇〇万円)を下ることはない。
(二) 本件訴訟のため原告らが要する弁護士費用としては、三〇〇万円(各自一五〇万円)が相当である。
7 よって、原告ら各自は、被告に対し、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償として、一六五〇万円及びこれに対する太郎の死亡の日である昭和六〇年三月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3の事実は認める。
2(一) 同4(一)のうち、被告が、本件診療契約上、原告主張のような一般的な注意義務を負っていること及び自殺の予告が認められ、あるいはその危険性が高い場合には、被告が原告主張のような注意義務を負うことは認める。しかし、うつ病の治療としては、自殺防止のための精神療法をとることがとりわけ重要であるというよりも、むしろ、患者の状況に応じて、適切な対話と助言を行い、投薬により患者の精神的な不安を和らげ、生きることの意義と自信を回復させるよう配慮することこそが重要であるというべきである。なお、原告は、うつ病の患者の行動観察によって自殺の予告を把握し、自殺しないことを約束させる、自殺したくなったら必ず医師に打ち明けることを約束させる等の方法を講ずるべきであると主張するが、現実に右のような方法を講じておりさえすれば自殺の防止が可能であるというわけではなく、このような方法を講じなかったことと患者の自殺との間に当然に因果関係が認められるというものではない。
(二) 同4(二)のうち、太郎が、今回の入院以前の昭和五九年一月二三日にも、うつ状態で被告病院に入院したことがあったこと、昭和六〇年三月初旬頃、観察されてつらい、社会に適応する自信がない等と訴えていたこと及び自殺前日の午前六時四〇分頃、「死にたいよー。」と叫びながら鋏で手首を切ろうとしたことは認めるが、その余は否認する。
(三) 同4(三)は争う。
3(一)同5(一)は争う。原告は、自殺前日に鋏で手首を切ろうとした事実に基づき、太郎が自殺を図ったと判断しているが、右は太郎が片思いをしていた看護婦の巡視の面前でされており、それは自殺企図ではなく、依存と甘えの表現とみなすべきである。リストカットは近年女性の神経疾患者で多くみられる現象で、これが自殺に結びつくことはほとんどない。一般にうつ病の自殺の場合は、傷が深く、一箇所にとどまらず傷つけることが多い。また、同医師は、リストカットの報告を受けた当日、時間をかけて太郎と面談したが、面談後は、太郎の表情はかなり和らいで認められた。太郎の自殺を警戒して閉鎖病棟に移したり、外出禁止の処置をとるのは容易であるが、同医師は、太郎の心理的圧迫を避け、治療者との信頼関係において穏やかに自己を見つめ、将来に希望を持ってもらうことを意図したのである。なお、午後五時の看護婦の引継ぎの際の太郎の状態は、「面接後で自殺企図の情意はあったが今は落ち着いています。」ということであり、夕食は全量摂取、夜は同室の患者と雑談後入眠、良眠に経過した。
(二) 同5(二)は争う。服装について、太郎が外出のため金銭を要求した際はまだコートやブーツは着用していなかったが、被告病院は住宅街に存し、外出にこのような服装をするのは普通のことである。金銭の要求についても煙草を買うといって何か他の生活必要品を買ってくることは珍しいことではなく、一〇〇〇円程度の金銭の要求をしたとしても不自然ではない。
4 同6は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一 請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、同4及び5について判断する。
1 <証拠>によれば、以下の事実が認められる。
太郎は、一般に自殺の危険性が高いとされるうつ病患者であり、今回の入院より前、昭和五九年一月二三日から同年四月二五日までの間、やはり、うつ病により被告病院に入院して治療を受けたことがあり、そのときも河津医師が担当医師であった。右入院(以下「前回の入院」という。)の際には、太郎には自殺念慮の訴えが強くみられ、同医師は、太郎を閉鎖病棟に入院させたほか、看護婦の注意として自殺防止を指示していたが、現実に自殺未遂行為をしたことは一度もなく、自殺企図はみられなかった。
今回の入院においては、太郎には前回の入院のときのような自殺念慮の訴えはなかったが、河津医師は、太郎のように人格形成の発達段階で親からの分離と自立という課題について慢性的な葛藤状態がある場合には、自殺のおそれがなくはないと感じており、そこで、同医師は、太郎の今回の入院期間中、投薬治療をするとともに、精神療法的な接近を試み、太郎と面接を行い、その悩みを聞き、その気持を受け入れて、希望が持てるようにするという方針で太郎の治療を行っていた。そして、今回の入院治療を開始した後、昭和六〇年二月二〇日過ぎ頃から、太郎の表情は大分明るくなり、他の患者とも交流が持てるようになったので、同医師は、太郎は快方に向っていると判断した。
同医師は、同年二月二二日から三月九日まで海外出張に赴き、その間の太郎の面接等の治療は、被告病院の院長である黒須医師が行ったが、その期間中に太郎の精神状態には動揺がみられるようになり、「観察されてつらい。精神分裂病ではないか。」等の訴えのほか、就職や社会に適応することについての不安を訴えていた。そして、同月一一日(自殺前日)の早朝、太郎が、朝の検温に回ってきた看護婦の目前で「死にたいよー。」と言いながら鋏で左手首を切ろうとする行動(リストカット)に出た。もっとも、その傷は極めて軽く、表皮に鋏の跡が赤く残った程度で出血はみなかった。
帰国した河津医師は、同日午前九時三〇分頃、太郎のリストカットについて報告を受けたが、太郎のリストカットは、太郎がかねて好意を抱いていた若い看護婦の面前で行われており、その傷も極めて軽度であったところから、未熟な性格や甘えの表現であると解釈し、直接自殺と結びつくとは考えなかった。しかし、同医師は、カルテの記載から同医師の不在期間中就職等に関し太郎の精神状態に動揺があったということを知り、軽視することはできないと判断し、外来診療を終えた後、午前一一時三〇分頃から約一時間にわたり太郎と面接を行った。同医師は、その面接において、太郎から就職を断った話等を聞いて、一般に学生の自殺は卒業や就職の時期に集中することからその自殺を防止する必要があると考え、太郎の動揺している気持をよく聞き出し、そのプライドを傷つけないような逃げ場を作るように努め、太郎が研究が好きなことから、研究職という進路もある等と言って励ました。また、その面談の中で、太郎が同医師に対して母親の信仰する宗教を自分も信仰したいと話したので、同医師は、これはいわゆる母親への回帰であって、親からの自立分離という人格発達の課題との関係では後退であるが、その対抗的な関係において本人は精神的なバランスを得られ、母親という支えを得て、自殺の危機は取りあえず避けられるのではないかと判断した。
面接を終えた後、同医師は、同日午後一二時半頃、勤務の看護婦らに対し、太郎の自殺企図に注意し、食事や睡眠のチェックをし、表情にも注意するよう指示をするとともに、太郎の精神を安静に保つため日中薬を増量した。そのころ、同医師が、昼食を終えてロビーにいる太郎を観察したところ、その表情は面接前よりも落ち着いているように見受けられ、また、同医師が、太郎に対し、「ふらふら出歩いたりしないで、ゆっくり時を待ってください。」と話しかけたところ、太郎は、和らいだ表情で「はい。」と答えた。そこで、同医師は、先の面接により自殺の危機を脱したものと考え、これまでの診療経過では太郎が快方に向っているところから、太郎については自殺の危険性がなくなったわけではないが、閉鎖病棟に移したり、外出を禁止したり、あるいは、付き添って監視を強める等の措置をとることは、その人間性を拘束することとなり、治療関係の上でマイナスになると判断し、これらの措置をとらなかった。
太郎は、同日夕食を通常どおり摂取して就寝し、夜は良眠に経過し、翌一二日の朝食も通常どおり摂取した。
太郎は、朝食後、午前八時三〇分頃、煙草を買いに行くと言って看護婦から外出許可を得て外出したが、外出時の服装は、茶系統のズボンとシャツにセーターとコートを着て、革靴を履いていた。太郎は、外出許可を得た際、看護婦からいったんは煙草代として五〇〇円を出してもらったが、ジュースを買うからと言って要求し、五〇〇円を追加して受け取って外出した。太郎と応対した看護婦は、太郎の言動や服装に格別異常な点があるとは気付かず、「煙草を買ったらすぐに帰ってきてね。」と言って外出を許可した。
太郎は、同日午前九時二〇分頃自殺した。
以上のとおり認められる(以上の事実中、太郎が今回の入院前にもうつ状態で被告病院に入院したことがあったこと、今回の入院中の昭和六〇年三月初め頃、「観察されてつらい。精神分裂病ではないか。」等と訴えていたこと、自殺前日の早朝、「死にたいよー。」と叫びながら、鋏で手首を切ろうとしたこと及び太郎が昭和六〇年三月一二日午前九時二〇分頃自殺したことは、当事者間に争いがない。)。
2(一) ところで、原告らは、被告病院としては、太郎の自殺については、その予告が認められ、自殺の可能性が高い場合であるから、自殺当日には、通常以上に太郎の自殺企図に注意を向け、医師によるカウンセリングを強化するとともに患者の外出に注意し、単独行は避ける等の具体的保護措置を講ずるべきであったのに、河津医師は、自殺前日の太郎の直接的な自殺の予告(リストカット)を認識しながらこれを軽視し、自殺企図とは判断せず、また、太郎の自殺の危険性が高いと考えなかったため、その自殺を防止するための措置を全く講じなかったと主張する。
(二) そこで検討するに、うつ病患者の治療においては、自殺の防止を図ることが必要であることはいうまでもないが、自殺の企図がうつ病に原因するものであるところから、その防止策として何をすべきかは、うつ病の治療をどのように行うかという問題との関連において検討されるべきことである。すなわち、うつ病の治療が早期の効果を期待し得ず、その反面自殺の可能性が高いと認められる場合は、治療という点からは多少マイナスになることがあっても、直接的な自殺防止策、例えば、閉鎖病棟に収容して厳重な監視下におく等の措置をとることが優先することもあるであろうし、逆に、自殺の可能性がなくはないが高くはないと認められる場合は、治療自体がより根本的な自殺防止策なのであるから、そのような措置はとらずに開放病棟において行動観察をしながら、薬物療法及び精神療法を続けることに合理性が認められることもあろう。したがって、この問題は、結局、自殺の可能性が高いか否か、早期に治療の効果があがるか否か等の判断にかかることであり、担当医師が専門的な知識と経験に基づき判断すべき事柄であって、たとえ、担当医師が直接的な自殺防止策をとるのは相当でないとの判断に基づきそれを講じなかった結果患者が自殺するに至ったとしても、そのことから直ちに担当医師に注意義務違反があったとすることはできず、担当医師がそのような判断をしたことが、医学的な見地から不合理なものであったと評価される場合に初めて注意義務違反があったと認めるべきである。
(三)これを本件についてみると、まず、前認定のような太郎のリストカットの態様、それまでの太郎の病状の経過、リストカット当日の面接における太郎の様子等にかんがみるならば、一般にうつ病患者は自殺の危険性が高いとされており、自殺未遂行為はどんな軽度のものであっても深刻に受け止める必要があるとの指摘がされていることを考慮しても、河津医師が、当時、太郎のリストカットが自殺の予告であり、太郎の自殺の可能性が高いとは判断しなかったことが不合理であったとはいえない。
そして、河津医師が太郎のリストカットの同日行った面接が、太郎の動揺している気持を十分聞き出し、そのプライドを傷つけず逃げ場を与えるようなものであったことは、前示のとおりであり、一般に自殺を防ぐための措置として受容的な面接により患者との信頼関係を確立する精神療法の重要性が指摘されていることにかんがみると、同医師による右面接は、本件の場合における精神科の医師として行うべき自殺を防ぐための相当な措置を講じたものと評価することができる。そして、就職恐怖等の成熟不安、成熟拒否をモチーフとする青年学生の自殺の場合は、本人のプライドに応じた逃げ場を設定し、あるいは母性的な場に逃げ込むことを受容することによって、自殺の危機を回避することができる場合が多いことが医学文献において指摘されているところ、前示の河津医師と太郎との面接の内容及びその後の太郎の態度等に照らして考えると、同医師が、面接後、取りあえず太郎については自殺の危機を脱したものと判断したことが当時として合理性を欠く判断であったと認めることはできない。そして、このように自殺の危機に関する右の判断が合理性を欠いたものとは認められない以上、同医師がこれを前提に、太郎について外出禁止等の措置をとることは治療上マイナスであると考えてそれらの措置をとろうとはしなかったことについても、そのことが精神科の医師として合理性を欠いた判断及び措置であったとは認められない。
(四) したがって、本件において、同医師の右各判断及び措置を理由に注意義務違反があるとして被告の診療契約上の債務不履行を認めることはできないし、同医師に不法行為が成立することを前提とする被告の使用者責任を認めることもできない。
3(一) 次に、原告らは、太郎が自殺当日、煙草を買いに行くと称して外出許可を求めた際、多くの不自然な状況が見受けられたのであるから、申出を受けた看護婦は、外出しないように説得し、あるいは看護婦が付き添って外出させる等太郎を一人で外出させないようにするべきであったにもかかわらず、これを怠った旨主張する。
(二) しかしながら、前認定のような外出時の太郎の服装は、病院から五分ほど離れたところへ(この点は、<証拠>により認められる。)煙草を買いに行くにしては、多少改まった様子に見えるものであったといえなくもないが、いかにも不自然で煙草を買いに行くようには見えないという程のものではなく、また、五〇〇円のほかに更に五〇〇円要求したことも、それがジュースを買うためということであって、いかにも不自然であるとまではいえないものである。そして、リストカットをした当日の昼頃、河津医師との約一時間にわたる面接をした後は太郎は落ち着きを取り戻していたこと、同日は夕食を摂取し、その夜は良眠に経過し、翌一二日の朝食も通常どおり摂取していたことは前に認定したとおりであり、右認定事実に、前示のとおり河津医師が看護婦に対し太郎について特に外出禁止等の措置をとるようには指示していなかったこと(同医師の右判断が合理性を欠いたものとは認められないことは前示のとおりである。)を併せ考えると、原告らが主張するような事実をもってしても、いまだ外出の許可の申出を受けた看護婦において、太郎の自殺の切迫した危険性が存したことを予測することができたということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
なお、<証拠>によれば、太郎の自殺後に自殺現場に残されていたコートのポケットの中から遺書と見られる文章が書かれた一葉の便箋が発見されたが、その便箋と同じ使いかけの便箋と右文章を書くのに用いたものとみられる鉛筆とが被告病院の太郎の病室に遺されていたことが認められ、また、<証拠>によれば太郎が被告病院を出たのは午前八時三〇分頃、<証拠>によれば太郎が死亡したのは午前九時二〇分頃であり、原告甲野花子本人尋問の結果によれば被告病院から自殺現場まで通常の交通機関を用いて行くのに要する時間は一時間程度であることがそれぞれ認められる。以上の事実によれば、太郎は、被告病院の自己の病室で遺書を認めた上、被告病院を出てから寄り道をすることなく自殺現場に至ったものと認められる。
そうすると、太郎は、看護婦に外出許可を求めた際、既に確定的な自殺の意思を抱いていたとも考えられるが、たとえそうであったとしても、他人に気取られるようにそのことが外部に表れていたとは限らない(本件においては、そのような外部的な徴表があったものと認め得る証拠はない。)から、前示認定の事実から、看護婦が外出許可を求められた際、太郎の言動や表情から格別異常を感じ取ることがなかったことを論難することはできない。
(三) したがって、本件において、自殺当日の朝、太郎の外出を許可した被告病院の対応をもって、被告に診療契約上の債務不履行があるということはできず、右外出を許可した看護婦に不法行為が成立することを前提とする被告の使用者責任も認められないというべきである。
三 してみれば、原告らの被告に対する各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 青山正明 裁判官 千葉勝美 裁判官 清水 響)